満州事変に関しては、1931(昭和6)年9月に中国政府が国際連盟に提訴してから、翌年10月にリットン報告書が発表されるまで、国際連盟の空気は日本より、むしろ全国を統一しきれないでいる中国の弱体ぶりに対して批判的であった。

 

リットン調査団は、中国側の訴えに基づき、国際連盟が満州事変の原因調査のため派遣したものである。

 

団長にはイギリスのリットン卿、団員にはフランスのクローデル将軍、イタリアのアンドロバンディ伯、ドイツのシュネー博士、アメリカのウォルター・ハイネス(のちにマッコイ将軍と交代)、そして日本の吉田伊三郎駐トルコ大使、中国の顧維釣(こいきん)前外交部長などが任命された。

 

調査団一行は1933(昭和8)年2月29日、東京に到着した。

リットン調査団の主目的について、「日支両国をして永久的協定の基礎を発見せしむるよう、日支両国に対して連盟の援助を提供」することであるとの声明を出した。

そして天皇に謁見したのち犬養毅首相、芳沢謙吉外相、荒木貞夫陸相、大角ュ生海相のほか実業家らに会い、日本側の主張を聞いた。

 

内田康哉(うちだやすや)満鉄総裁は満州問題の打開策を論じる同調査団との会見で、「唯一の解決方法は、満州国を承認することである。満州国は日本の傀儡国家ではないし、本来、中国の不可分の領土でもなかった」と強調している。

また本庄繁関東軍司令官も、「満州は日本の生命線で、その防衛は日本のみならず、すべての文明社会をコミンテルンの赤化から守ることになる」と力説した。

 

調査団の報告書、「リットン報告書」は十章にわたり、英文百四ページ(外務省翻訳の日本語文は二百八十九ページ)にも及ぶ長文のものだった。

 

その内容のなかから、日中間の主な争点に関する部分を列挙すれば、以下のようになる。

 

一、 中国の現状と将来像について日本の「中国は政府組織を有する国家ではないとし、混沌とした無政府状態のため国際連盟に加盟する資格がない。中国は統一に向かっているのではなく分裂、滅亡の道を歩んでいる」とする主張に対し、報告書は「中国において諸種の困難、失敗があっても、徐々に国家的性質を帯びてくるものと期待できる。つまり国家統一の道を歩んでいる」と結論付けている。

二、 柳条湖事件およびその後の日本の軍事行動について報告書は「鉄道に対する損傷があっても軽微なものだ。日本軍の北大営への攻撃、奉天占領、全満州占領まで発展させた軍事行動は、自衛ではなく侵略行為だった」と認定している。この結論に対して日本側は、四点の根拠を挙げて報告書を批判している。即ち、二十二万人の中国軍に対して日本軍はわずかに一万四百人という劣勢であったこと。日本軍には百万人を超える満州在住日本人を保護する責任があること。中国側の不抵抗命令は真実でないこと。さらに不戦条約でも自衛権は認められていること、である。

三、 報告書は「満州国は真の自発的な独立運動によって出現したものではなく、日本の傀儡国家である」と指摘している。調査団は満州滞在中に多くの書簡を受け取ったが、全千五百五十通のうち二通を除いては、すべてが満州国への反対や敵意を示すものだったという。日本側はこれに対して中国側の宣伝であるとし、逆に三千万人の満州国民のうち、それは二万人に一人の割合だと反論した。

 

満州問題はなかなか解決に向かわなかった。リットン調査団は、満州事変前への原状回復だけでは再び紛糾する恐れがあるとし、永続的な問題の解決方法として、第九章「解決の原則及び条件」、第十章「考察及び理事会への提言」を提示した。

それはおおよそ次のようなものである。

 

「満州には中国主権の下で広範な権限を持つ自治政府を設置する。それに対し国際連盟の主導で外国人顧問による指導、勧告を行う。特別警察を設置して域内における治安を維持し、あらゆる軍隊を撤退させ、漸次的に非武装地域化する。日中ソに不可侵条約を締結させる」

 

もちろん日本側はこのような提案に、満州国の国際管理化に等しく、現実に適合しないとして反対している。

 

このようなリットン報告書に関し、ジョージ・ブロンソン・レーは著書『満州国出現の合理性』(田村幸策訳、1936(昭和11)年)において次のような鋭い指摘をしている。

「日本は凡(あら)ゆる法律並びに戦争法規に基き、支那が日露戦争に参加した事に対し支那から現金を以って賠償を受くるか或は其の代りに1895年に正式譲渡し後に至って還付を余儀なくせしめられた満州の土地を受くる権利があると確信するものである」

「然るに日本が其の正当なる法律上の要求権を放棄して満州国の絶対独立及主権を承認し其の独立を擁護する事を声明したことは著者の目から見ると侵略行為とか領土征服どころではなく、近世史上に於ける最も特筆すべき自制的及利他的行為であるのである」

日本は満州を領有する権利があるのにそれを行使せず、むしろ満州人など諸民族の独立を承認した。これは侵略や征服と呼ぶべきものではなく、むしろ自制心のある、利他的な行為といえよう。レーはそう言って日本の行為を評価しているのである。

「満州国の独立及主権を厳に尊重する事が日本の根本的政策であると日本は世界に表明して居るのであるから其約束の言葉を疑い日本の真意を疑い其動機を彼是云うことは恰(あたか)も米国がフィリピン独立の約束を疑うのと同一であって理由のないことである」

アメリカは1934(昭和9)年にフィリピンに自治を、そして自治十年後の独立を約束している。

満州国の独立と主権の確保は、日本が世界に約束したことである。

日本のみを疑って、アメリカがフィリピンに対して行なった約束を疑わないのは何故か。

レーはその矛盾を衝いているのである。

 

 

 

 

     事実を訴えた松岡演説と日本の国際連盟脱退

 

国際連盟では1933(昭和8)年11月21日、リットン報告書を審議する第五回理事会が開催された。

開会前から雲行きは日本に険しかったことは、日本代表の「連盟の空気は日本に満州自治案(リットン報告の骨子)を受託するよう迫る方向だ」との打電報告からも窺えた。

日本の首席代表・松岡洋右は、「満州での事件は日本の責任ではない。日本の行動は自衛であり、独立運動も住民の自治によるものだ」とする従来からの主張を繰り返した。

それに対して中国代表の顧維釣(こいきん)は、日本の侵略行為だと反論した。

 

理事会は最終的に事実上の満州国不承認の勧告を出した。

松岡代表は翌年二月二十四日の総会で演説を行い、「中華民国は西欧的な意味での国家ではない。極東の混乱の根本原因は中華民国の混乱と無秩序にある。最も近い隣邦である日本はそのため最大の被害を受けた」と述べた。

 

さてリットン報告書は、満州国建国当時の満州と中華民国の関係についてはほとんど正確に把握していない。

 

中華民国は辛亥革命で樹立したものの、北京政府とその他の政府がそれぞれ「中国を代表する唯一の政府」と勝手に主張し合い、対立を続けていた。

 

どの政府が「正統」なる政府かはっきりせず、そのため五百万人に上る全国の武装勢力(匪賊勢力を入れるとその数倍に上る)は、それぞれが列強の支援下で覇権ゲームを繰り返していた。

著名な学者の林語堂(りんごどう)は、満州事変までの内戦の犠牲者は三千万人に上ると語っている。

蒋介石と閻錫山(えんしゃくざん)、馮玉祥(ひょうぎょくしょう)らの国民党内戦だけでも、三千万人の死者が出たとも推計されている。

 

いずれにせよ中華民国とは「内戦共和国」としか形容できない状態にあった。

国民は九割六分までが無学で、共和制とは何であるか理解しておらず、自己の有する権利の何物であるかも知らなかった。

 

当時、北京政府は満州に指一本触れたことがなかった。

そうしたなか、満州の軍閥の張作霖と張学良の父子は満州の支配者となった。

 

そこで関東軍は、アメリカ軍がスペイン支配からキューバを解放したのと同様、張学良軍閥を駆逐して満州を解放したのである。

もっともアメリカはスペインからフィリピンを奪ったと同時に、その独立を奪っている。

一方、日本は満州人の国家を復活させている。

 

こうした史実に基づいた日本の主張は国際連盟(League of Nations)では理解されず、リットン報告書が採択されたのだ。

かくして日本は国際連盟から脱退した。

 

 

(黄文雄著「日本の植民地の真実(扶桑社)」、黄文雄著「満州国の遺産(光文社)」より)

 

 

 

 

「私は自国の防衛のためには軍事力の行使を決してためらわない。いかなる国際機関にも自国の防衛や安全保障に対する拒否権を認めたりはしない」

 

明らかに国際連合(United Nations)への言及とわかるこんな言葉を20047月末、ボストンで開かれた民主党全国大会で熱をこめて述べたのは同党大統領候補のジョン・ケリー上院議員だった。

アメリカの国家安全保障のためには国連が何をいい、何をしようが干渉は許さず、アメリカとしての独自の行動をとる、という決意の表明だった。

ブッシュ大統領の政策を一国主義だと批判するケリー氏でさえ、自国の防衛で国連に頼るという姿勢はツユほどもないのである。

 

ブッシュ大統領の国連の位置づけはもっと明確かつ冷淡である。

 

「私が大統領である限り、わがアメリカの安全を国連にゆだねたり、国連の命令に服するということは絶対にしない」

 

同大統領はかねがねこういう言明を繰り返してきた。

とくにイラク問題では国連の無力を糾弾し、フセイン政権の脅威に国連が無力だからこそアメリカが行動を起こすのだ、と主張してきた。

アメリカ国民の大多数もその態度を支持してきたわけだ。

 

だが日本では国連への期待は切ないほど過大である。

 

(「軍事貢献を他国に押し付けるような国に常任理事国入りの資格はない」古森義久(『SAPIO(小学館)』20041013日号)より)

 

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