『「満州」(東北)が、古来、中国の絶対不可分の固有領土」だという主張は、中国政府が20世紀に入って初めて主張したものである。たしかに「天下王土に非(あら)ざるものなし」という王土思想は古代からあった。しかし満州という土地まで中国の絶対不可分の領土だという主張は明らかに歴史の捏造である。逆に「満州は中国の固有領土にあらず」という論争ははやくも日露戦争後には言われ始めている。

史実を見れば、中国と絶対不可分というより、有史以来満州は中国と万里の長城を境に、相容れない二つの世界であった。

植生圏を見ても歴史環境が全く異なっており、文化的・政治的に対立・対峙し続けてきた異なる文化圏であった。「絶対不可分の固有領土」はまったくの捏造である。この二つの世界は抗争を続けながら、それぞれ国家の興亡盛衰を繰り返してきた。それは中国史とは別の北アジア史、東アジア史なのである。』

(黄文雄著『満州国の遺産(光文社)』より)

 

 

『中華帝国は、有史以来、万里の長城をもって北の国境線としてきた。

少なくともモンゴル人や満州人がそこを越えて中国を征服した時代以外は、そこは中国人の防壁であり、その北方は「外国」であった。

 

中国人には古来、満州は長城以北の「関外(かんがい)」「塞外(さいがい)」の地であるとの通念があり、中華文明圏の枠外の別世界として位置づけてきた。

決して中国人が今日主張するような「神聖なる絶対不可分の固有の領土」などではなく、むしろ絶対に交わりたくない「化外の地」だったのである。

ところが今日中国は、満州史は中国の「東北史」と位置づけている。

これほどの歴史捏造はあるまい。

 

「東北」といえばあたかも、満州が東北部の一地方として中国に従属してきたようにみえるが、実際、この地は中国の統一王朝に従属したことはおろか、戦後になるまで中国に領有されたことすらなかった。

 

最近、中国は日本に対して、「支那」や「満州」という地名の不使用を要求し、「満州という地名はない。東北と呼べ」と主張している。

そもそも史書に「東北」との正体不明の地名はない。

中華世界内部なら華北、華中、華南はあるにしても、中華世界外部の満州については、「東北」という新名詞しか作れなかったらしい。

中国がそれほど「満州」の名を嫌うのは、自らの歴史歪曲を指摘されるのを恐れているからではないか。

 

その「東北史」の冒頭には決まって、満州人が中華民族の一員であり、あるいは「黄帝の子孫」であると強調されていることが多い。

しかし『四庫全書』などの史書には、満州の建国は黄帝と同時期のものであり、中国と同時並行的に存在してきた国であると書かれている。』

(黄文雄著『日本の植民地の真実(扶桑社)』より)

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