二十世紀前半の東アジア世界最大の国家的、国際的紛争の火種は、つまるところ清帝国崩壊後におけるその「遺産」の相続問題だった。

 

同帝国が辛亥革命をきっかけに解体されると、モンゴルもチベットも独立を宣言し、そのことが現在でも東アジアを揺るがす紛争の火種となった。

 

この遺産をめぐる紛争の本質は、十七世紀から十八世紀にかけて清帝国が征服した諸民族の土地を誰が継承するかにあった。最初に継承者として名乗りを上げたのが、辛亥革命後に成立した中華民国である。この国は清の版図をすべて継承すると主張した。

 

当時、遺産を狙った勢力は、大きく三つに分類できる。

 

第一の勢力は、中華民国だ。この国は北洋軍閥、国民党、共産党などの多政府状態で、常に内戦に明け暮れていたため、落ち着いて「遺産継承」を出来る様な状態ではなかった。

 

第二の勢力は、モンゴル、チベット、ウイグルといった清時代の被支配者諸民族である。

 

第三の勢力は列強である。日露戦争後にロシアは満州から撤退したものの、蒙、疆は相変わらず勢力範囲においていた。一方イギリスはチベットを支配下に置いていた。そして諸国は常に中国内戦に介入、加担し続けていた。

 

易姓革命の国・中国の歴史鉄則からいえば、清帝国の遺産は「新王朝」である中華民国政府に継承の権利があるということになるが、西力東来以降、すでにその鉄則は通用しない情勢になっていた。中華民国自体、たとえ独立を宣言しても、列強からの認知、承認が得られなければ、「遺産相続権」どころか国家自体が成り立たない状況だったのである。

 

他方、どの「民族」が遺産の正当なる後継者かとの見方をすると、勿論、血筋からいけば満蒙民族だろう。もっとも清国崩壊後、中華民国が継承したかった遺産の一部であるモンゴルは、チベットとともに独自に独立宣言をしている。

 

同時代(二十世紀初頭)のロシア帝国、オスマン・トルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊の歴史をみても、これら世界帝国の瓦解によって、後継者であるロシア人やトルコ人以外に、それまで帝国支配下にあった諸民族がそれぞれ新国家を独立させているが、それは至極当然のことだった。

 

例えばロシア帝国支配下からはフィンランドやポーランドが、オスマン・トルコ帝国からはギリシャやバルカン諸国が独立を果たし、今日に至っている。それが時代の流れであった。そのようななかで清帝国の支配下にあったモンゴル、チベットなどの諸民族も独立へと向かった。

 

満州国も、そのような満州人の新国家建設という側面から捉えることができる。

 

中華民国は、チベットなどの支配権を継承したくても、それらを実質的に支配していなかったし、その力もなかった。それでありながらも「清王朝の支配下の諸民族はすべて中国に属する」とする現中国政府の主張や固有領土観は列強時代も現代も、国際政治からも国際法的にも通用しない。だから中国はチベットを軍事占領し、武力で強引に領土に組み入れたのである。

 

(黄文雄著『日本の植民地の真実(扶桑社)』より)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送